2010年6月:再び、モスクワ近郊のセルギエフ・ポサードへ [旅 - ロシア【教会】]
雪が降りしきる中、2月に訪れたモスクワから80kmほど離れたセルギエフ・ポサード。
黄金の環の中で、最もモスクワに近い場所なので、今回も再チャレンジしてみることにした。
セルギエフ・ポサードの創設者で聖人であるラドネジの聖セルギイ像。
寒い冬も、暖かくなった今も、供物の花が絶やされることは無い様だ。
今回は、前回は居ることが出来なかった場所も、ガイド付きツアーとしたので、入れる模様。
どんなモノが待ち受けているのか、楽しみだ。
黄金の環の中で、最もモスクワに近い場所なので、今回も再チャレンジしてみることにした。
セルギエフ・ポサードの創設者で聖人であるラドネジの聖セルギイ像。
寒い冬も、暖かくなった今も、供物の花が絶やされることは無い様だ。
今回は、前回は居ることが出来なかった場所も、ガイド付きツアーとしたので、入れる模様。
どんなモノが待ち受けているのか、楽しみだ。
2010年6月:ドモジェドヴォ国際空港からモスクワ市内へ その3 [旅 - ロシア【教会】]
JAL441便で到着し、ロシア、ドモジェドヴォ国際空港からモスクワ市街へ車で移動。
幹線道路脇に、色鮮やかな教会が。
ロシア革命でロシアの教会は殆どが取り壊されているから、新造の建物であろうが・・・
色彩が豊かな建物、構造が目を惹く教会であった。
幹線道路脇に、色鮮やかな教会が。
ロシア革命でロシアの教会は殆どが取り壊されているから、新造の建物であろうが・・・
色彩が豊かな建物、構造が目を惹く教会であった。
2010年2月:雪化粧をしたポクロフスキー聖堂 [旅 - ロシア【教会】]
降りしきる雪のため、雪化粧をしたポクロフスキー聖堂。
ロシアの中でも、赤の広場の南側の立地と言うことで、よく知られた教会の一つ。
イワン雷帝と呼ばれていたイワン4世の命により、1560年に建てられた教会。
17世紀頃にはドームなどが改修をされ、9つのドームそれぞれが教会になっている、今の姿に。
この聖堂は、イワン雷帝に影響を与えたワシリー修道士にちなみ、ワシリー寺院としても知られる。
日本語で表記すると、「堀の生神女庇護大聖堂」となるようだ。
この建物、モンゴルとの戦争でカザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念として建てられている。
ちょっと生臭い感じもするが・・・
設計したバルマとポストニクは、イワン雷帝により目をくり抜かれるという事態になったことも有名。
理由が、このような美しい建物が再び造れないようにするためと言うのだから、また驚きモノ。
更に、建物の前に立つ像は1612年にポーランド軍からモスクワを守った英雄の2人。
1812年にミーニンとポジャルスキーの像がイワン・マルトスの手によって造られ、設置されている。
ロシアの中でも、赤の広場の南側の立地と言うことで、よく知られた教会の一つ。
イワン雷帝と呼ばれていたイワン4世の命により、1560年に建てられた教会。
17世紀頃にはドームなどが改修をされ、9つのドームそれぞれが教会になっている、今の姿に。
この聖堂は、イワン雷帝に影響を与えたワシリー修道士にちなみ、ワシリー寺院としても知られる。
日本語で表記すると、「堀の生神女庇護大聖堂」となるようだ。
この建物、モンゴルとの戦争でカザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念として建てられている。
ちょっと生臭い感じもするが・・・
設計したバルマとポストニクは、イワン雷帝により目をくり抜かれるという事態になったことも有名。
理由が、このような美しい建物が再び造れないようにするためと言うのだから、また驚きモノ。
更に、建物の前に立つ像は1612年にポーランド軍からモスクワを守った英雄の2人。
1812年にミーニンとポジャルスキーの像がイワン・マルトスの手によって造られ、設置されている。
2010年2月:セルギエフ・ポサードのトロイツェ・セルギイ大修道院 番外篇 [旅 - ロシア【教会】]
トロイツェ(至聖三者聖)・セルギエフ大修道院の敷地内では、綺麗に除雪されている。
さすがに降り積もる雪を、全てを処理できているわけではなくて・・・
ウスペンスキー聖堂(生神女就寝大聖堂)の前に、少し集められた雪山が。
男の子が見つけ、雪山に登って、遊び始める。
子供って、どんなに寒くたって、楽しいこと、良く見つけるよなぁ~。
さすがに降り積もる雪を、全てを処理できているわけではなくて・・・
ウスペンスキー聖堂(生神女就寝大聖堂)の前に、少し集められた雪山が。
男の子が見つけ、雪山に登って、遊び始める。
子供って、どんなに寒くたって、楽しいこと、良く見つけるよなぁ~。
2010年2月:セルギエフ・ポサードのトロイツェ・セルギイ大修道院 その5 [旅 - ロシア【教会】]
雪化粧をした、トロイツェ(至聖三者聖)・セルギエフ大修道院の見学を終える。
気温が-20℃と冷え込んでいるため、適度で切り上げ、夏に再び訪れることを誓う。
城壁の周囲を散歩すると、近くにもブルーを基調とした教会が建っていた。
地元の方々は、お年寄りも含め、こんな寒さでも何ともなさそうに、出歩いているのが印象的。
再び、セルギエフ・ポサードの創設者で聖人であるラドネジの聖セルギイ像。
彼が見守る駐車場には、教会とは相容れない、場違いにも感じる、ハマーH2の集団が・・・。
春には目が痛いほどの新緑で覆われるであろう、並木道。
冬は、冬で、降り積もった雪で情緒がある。
まさ、城壁周辺を散策すると、美しい教会が。
独特な色使いの建物も良いが、やっぱり純白の教会も、神秘的で良いかも。
気温が-20℃と冷え込んでいるため、適度で切り上げ、夏に再び訪れることを誓う。
城壁の周囲を散歩すると、近くにもブルーを基調とした教会が建っていた。
地元の方々は、お年寄りも含め、こんな寒さでも何ともなさそうに、出歩いているのが印象的。
再び、セルギエフ・ポサードの創設者で聖人であるラドネジの聖セルギイ像。
彼が見守る駐車場には、教会とは相容れない、場違いにも感じる、ハマーH2の集団が・・・。
春には目が痛いほどの新緑で覆われるであろう、並木道。
冬は、冬で、降り積もった雪で情緒がある。
まさ、城壁周辺を散策すると、美しい教会が。
独特な色使いの建物も良いが、やっぱり純白の教会も、神秘的で良いかも。
2010年2月:セルギエフ・ポサードのトロイツェ・セルギイ大修道院 その4 [旅 - ロシア【教会】]
雪が深々と降り積もり、美しく雪化粧をした、トロイツェ(至聖三者聖)・セルギエフ大修道院。
セルギエフ・ポサードは、昼間ながらも、外気温は-20℃と冷え込んでいる。
ウスペンスキー聖堂(生神女就寝大聖堂)と呼ばれる独特の5つのドームを持つ正教会の大聖堂。
大聖堂は、イワン雷帝の命により建てられ、26年をかけて、1585年に完成している。
建物内には巨大なイコノスタスが立ち、壁面は17世紀のフレスコ画で覆われている。
とても静かな建物内は、荘厳で神妙な気分になる。
見たことある造りと思ったら、モスクワのクレムリンのウスペンスキー聖堂を模した建物だそうで。
クレムリンの大聖堂は、イタリア人アリストーテリ・フィオラバンディにより、1479年に建てられた。
クレムリンの大聖堂はウラジーミルの大聖堂を模したそうなので、尚更みた事が有るわけだ。
もっと辿ると、キエフのソフィア大聖堂に行き着くようなので、奥が深い。
大修道院のシンボルともなっている大聖堂だが、天井が高く、冬場は室内が極寒となっていた様だ。
そんな、大聖堂は冬の奉神礼に適さなかったため、夏の間だけ用いられ「夏の聖堂」と呼ばれたらしい。
対として、至聖三者聖堂を「冬の聖堂」と呼び、冬場と夏場で使い分けが前は行われていた。
しかし、世界遺産登録後は、床暖房が入り、季節を問わず奉神礼が行わている。
精霊降誕教会と呼ばれる小振りな建物。
多の建物とは色遣いを異にし、存在感がある。
とても美しい色彩を放つ建物が、極々近い範囲で所在するので、とても見応えがある。
寒さが無ければ、一日でも見ていたいところだが、3時間が限度か・・・
セルギエフ・ポサードは、昼間ながらも、外気温は-20℃と冷え込んでいる。
ウスペンスキー聖堂(生神女就寝大聖堂)と呼ばれる独特の5つのドームを持つ正教会の大聖堂。
大聖堂は、イワン雷帝の命により建てられ、26年をかけて、1585年に完成している。
建物内には巨大なイコノスタスが立ち、壁面は17世紀のフレスコ画で覆われている。
とても静かな建物内は、荘厳で神妙な気分になる。
見たことある造りと思ったら、モスクワのクレムリンのウスペンスキー聖堂を模した建物だそうで。
クレムリンの大聖堂は、イタリア人アリストーテリ・フィオラバンディにより、1479年に建てられた。
クレムリンの大聖堂はウラジーミルの大聖堂を模したそうなので、尚更みた事が有るわけだ。
もっと辿ると、キエフのソフィア大聖堂に行き着くようなので、奥が深い。
大修道院のシンボルともなっている大聖堂だが、天井が高く、冬場は室内が極寒となっていた様だ。
そんな、大聖堂は冬の奉神礼に適さなかったため、夏の間だけ用いられ「夏の聖堂」と呼ばれたらしい。
対として、至聖三者聖堂を「冬の聖堂」と呼び、冬場と夏場で使い分けが前は行われていた。
しかし、世界遺産登録後は、床暖房が入り、季節を問わず奉神礼が行わている。
精霊降誕教会と呼ばれる小振りな建物。
多の建物とは色遣いを異にし、存在感がある。
とても美しい色彩を放つ建物が、極々近い範囲で所在するので、とても見応えがある。
寒さが無ければ、一日でも見ていたいところだが、3時間が限度か・・・
2010年2月:セルギエフ・ポサードのトロイツェ・セルギイ大修道院 その3 [旅 - ロシア【教会】]
セルギエフ・ポサードに所在する、トロイツェ(至聖三者聖)・セルギエフ大修道院の美しい建物に触れる。
外気温は-20℃ながらも、多くの参拝者、観光客が訪れている。
イワン・ミチューリンとドミトリー・ウフトムスキー設計による、白と青のバロック式鐘楼。
当時、ロシアで最も高かった88メートルもの高さがある建物。
高くそびえ立つこの鐘楼には、42個もの鐘が吊され、中には64トンの鐘も吊されていた。
しかし、ロシア革命後の1930年に、鐘は全て鋳つぶされて、失われている。
メンテナンスのためか、鐘楼からおろされた鐘。
小さく見えるが、高さは1メートルほどで、かなりの重さがありそう。
美しい色彩の屋根を備えた、十字架が置かれた泉。
さすがにこの-20℃の世界では、出水はしていなかった。
きっと初夏に訪れると、すてきな風景が広がっているに違いない。
外気温は-20℃ながらも、多くの参拝者、観光客が訪れている。
イワン・ミチューリンとドミトリー・ウフトムスキー設計による、白と青のバロック式鐘楼。
当時、ロシアで最も高かった88メートルもの高さがある建物。
高くそびえ立つこの鐘楼には、42個もの鐘が吊され、中には64トンの鐘も吊されていた。
しかし、ロシア革命後の1930年に、鐘は全て鋳つぶされて、失われている。
メンテナンスのためか、鐘楼からおろされた鐘。
小さく見えるが、高さは1メートルほどで、かなりの重さがありそう。
美しい色彩の屋根を備えた、十字架が置かれた泉。
さすがにこの-20℃の世界では、出水はしていなかった。
きっと初夏に訪れると、すてきな風景が広がっているに違いない。
2010年2月:セルギエフ・ポサードのトロイツェ・セルギイ大修道院 その2 [旅 - ロシア【教会】]
セルギエフ・ポサードを訪れた目的の、トロイツェ(至聖三者聖)・セルギエフ大修道院を散策する。
1993年に世界遺産に認定された修道院施設は、独特の雰囲気で美しい。
聖セルギイの食堂(トラーベズナヤ)と呼ばれる大きな建物。
中央に柱などの支えが無い構造で、ロシア最大規模の510平方メートルの室内空間を確保した建物。
先ほどの聖セルギイの食堂と呼ばれる僧院食堂の続き部分。
独特のエメラルドグリーンと白の建物が、雪と美しいコントラストを成している。
1423年に建てられたトロイツキー(至聖三者)聖堂。
1422年に亡くなり、聖人と成ったラドネジのセルギイが安置され、不朽体に対する聖堂が行われている。
美しくも荘厳な、中世ロシア最高のイコン画家ルブリョフのイコンが有ったが、ロシア革命などにより散逸している。
歴史的価値のある品が、心許ない行為に因る迫害を受けているのは、残念でならない。
とても密集し、限られた敷地に、多くの歴史的建造物が建ち並ぶ姿は、圧巻。
寒くさえ無ければ、一日滞在しても良い位かも。
1993年に世界遺産に認定された修道院施設は、独特の雰囲気で美しい。
聖セルギイの食堂(トラーベズナヤ)と呼ばれる大きな建物。
中央に柱などの支えが無い構造で、ロシア最大規模の510平方メートルの室内空間を確保した建物。
先ほどの聖セルギイの食堂と呼ばれる僧院食堂の続き部分。
独特のエメラルドグリーンと白の建物が、雪と美しいコントラストを成している。
1423年に建てられたトロイツキー(至聖三者)聖堂。
1422年に亡くなり、聖人と成ったラドネジのセルギイが安置され、不朽体に対する聖堂が行われている。
美しくも荘厳な、中世ロシア最高のイコン画家ルブリョフのイコンが有ったが、ロシア革命などにより散逸している。
歴史的価値のある品が、心許ない行為に因る迫害を受けているのは、残念でならない。
とても密集し、限られた敷地に、多くの歴史的建造物が建ち並ぶ姿は、圧巻。
寒くさえ無ければ、一日滞在しても良い位かも。
2010年2月:セルギエフ・ポサードのトロイツェ・セルギイ大修道院 その1 [旅 - ロシア【教会】]
今回、セルギエフ・ポサードを訪れた目的の、トロイツェ(至聖三者聖)・セルギエフ大修道院へ行く。
美しい、白い城壁に囲まれるその施設は、1993年には世界遺産に認定されている。
立ち入るのは無料であるが、撮影をするにはチケットが必要で、入口で100ルーブルを支払う。
1550年代に作られた城壁にある入場門は、独特の色彩で飾られている。
壁、天井には宗教画が書かれているが、色彩も鮮やかであることから、最近描かれたモノの様だ。
描かれた絵からは、ロシア正教らしさが伝わり、この後、拝むことができるであろう姿に、想像が膨らむ。
門をくぐり、一気に開けた敷地内には、正面にウスペンスキー(生神女就寝)大聖堂が美しく建つ。
この修道院のシンボル的な建物であり、後ろ姿ながら、とても美しい。
-20℃の世界ながらも、独特の美しき建物、施設に目を奪われつつ、散策を続けることにする。
美しい、白い城壁に囲まれるその施設は、1993年には世界遺産に認定されている。
立ち入るのは無料であるが、撮影をするにはチケットが必要で、入口で100ルーブルを支払う。
1550年代に作られた城壁にある入場門は、独特の色彩で飾られている。
壁、天井には宗教画が書かれているが、色彩も鮮やかであることから、最近描かれたモノの様だ。
描かれた絵からは、ロシア正教らしさが伝わり、この後、拝むことができるであろう姿に、想像が膨らむ。
門をくぐり、一気に開けた敷地内には、正面にウスペンスキー(生神女就寝)大聖堂が美しく建つ。
この修道院のシンボル的な建物であり、後ろ姿ながら、とても美しい。
-20℃の世界ながらも、独特の美しき建物、施設に目を奪われつつ、散策を続けることにする。
2010年2月:モスクワ近郊のセルギエフ・ポサードへ [旅 - ロシア【教会】]
前々から行きたいと思っていた、モスクワから80kmほど離れたセルギエフ・ポサードへ行くことにする。
黄金の環の中でも、最もモスクワに近い場所ながら、今まで行ったことがなかった。
このセルギエフ・ポサードに立ち寄った一番の目的、トロイツェ・セルギエフ大修道院。
16世紀に建てられた城壁の中に、14~18世紀に建てられた教会が所在する。
セルギエフ・ポサードの創設者で聖人であるラドネジの聖セルギイ像。
1300年代に生まれ、多くの教会などを残す事になった彼は、今も背後の至聖三者大聖堂に眠っている。
白銀の中、修復され、美しく建ち続けるが、1917年のロシア革命により受難の時もあった。
しかしながら、多くの人の努力により修復され、1993年には世界遺産に認定されている。
黄金の環の中でも、最もモスクワに近い場所ながら、今まで行ったことがなかった。
このセルギエフ・ポサードに立ち寄った一番の目的、トロイツェ・セルギエフ大修道院。
16世紀に建てられた城壁の中に、14~18世紀に建てられた教会が所在する。
セルギエフ・ポサードの創設者で聖人であるラドネジの聖セルギイ像。
1300年代に生まれ、多くの教会などを残す事になった彼は、今も背後の至聖三者大聖堂に眠っている。
白銀の中、修復され、美しく建ち続けるが、1917年のロシア革命により受難の時もあった。
しかしながら、多くの人の努力により修復され、1993年には世界遺産に認定されている。