2005年4月:AIRock、ロック岩崎氏を偲んで [航空機 - 曲技機]
昼のニュースで曲技訓練中の軽飛行機が但馬空港で墜落、というニュースが目に飛び込む。
もしや・・・とは思っていたが、残念ながらそれが事実となってしまった。
嘘で、誤報であって欲しい、との思いも虚しく、現実は自分の前に突き刺さった。
日本の民間エアロバティックチームの草分け的存在に「AIRock」というチームがある。
「エアロック」というチーム名は、由来はというと・・・
代表として、そしてチーフパイロットとして活躍してきた「ロック岩崎」との愛称を文字って使用。
「ロック」と呼ばれる、岩崎貴弘氏の名前から、命名されている。
その彼は日本では貴重な存在であった。
空の愉しさ、すばらしさを伝える活動を率先して推進してきたその男。
あまりにも突然な、悲劇が襲う。
安全には細心の注意を十分すぎる程払い、そして対策を施してきたはずの彼。
本当に、有り得ないであろう、最悪の事態が起こってしまった。
決して彼には起こり得ないと思っていた墜落、そして死・・・
この事実は、自分にとって決して受け容れ難いことでもある。
そんな彼との出会いはと言うと・・・
1998年に「エアショーの手伝いをしてみないか?」と、知り合いを通じ声を掛けられたことに始まる。
場所は、AIRockが以前拠点としていた阿見飛行場だったと思う。
ひょんなことで知り合ったのも、かれこれ、もう、7年も前のことだ。
当時の未熟な私は、彼らにとっては全く役にも立っていなかったと思う。
それから約1年程の間、チームをお手伝いさせていただいた。
チーム移動、物資輸送として使うシェビーバンをエアショーを行う地域まで自走。
本拠地(茨城県)→岩国(山口県)→鹿屋(鹿児島県)なんて長距離の移動、
船積みで志布志(鹿児島県)→晴海(東京都)2泊3日船舶の旅をしたことは、今ではいい思い出。
ブースで売り子をして、売り上げに一喜一憂していたなんてこともあったかな。
そんな当時の私は、若かったこともあるが今にも増して我が強すぎた。
やっかいな存在であったろうと我ながら反省するばかり。
そんな私でも、彼とそしてチームの皆は温かく迎えてくださり、見守ってくれた。
その1年間で、私は彼からエアショーの基本である安全の確保方法や対策などを学ばせていただいた。
この時に得た知識は、自身の仕事で今でも十分に活用され、役に立っており、本当に感謝している。
また、「Dream to the Sky、空へ!」と彼がサインする時などに記すことが多かった言葉。
その中にある「空への憧れ」や「愉しさ」、「すばらしさ」なんかも教えたいただいた。
自分にとって、本当に貴重な1年を過ごさせていただいたと、今でも本当に感謝している。
空で、地上で、私たちを魅了してきた彼は・・・
本当に熱くて、まっすぐで、いい男だった。
惜しい、かけがえのない人を早くに失ってしまった。
彼が、私たちに残したエアショーの、エアロバティックの足跡を消すことはなく、残していきたい・・・
2005年4月21日、愛した空へ旅立った、あなたを忘れない。
ありがとう。
もしや・・・とは思っていたが、残念ながらそれが事実となってしまった。
嘘で、誤報であって欲しい、との思いも虚しく、現実は自分の前に突き刺さった。
日本の民間エアロバティックチームの草分け的存在に「AIRock」というチームがある。
「エアロック」というチーム名は、由来はというと・・・
代表として、そしてチーフパイロットとして活躍してきた「ロック岩崎」との愛称を文字って使用。
「ロック」と呼ばれる、岩崎貴弘氏の名前から、命名されている。
その彼は日本では貴重な存在であった。
空の愉しさ、すばらしさを伝える活動を率先して推進してきたその男。
あまりにも突然な、悲劇が襲う。
安全には細心の注意を十分すぎる程払い、そして対策を施してきたはずの彼。
本当に、有り得ないであろう、最悪の事態が起こってしまった。
決して彼には起こり得ないと思っていた墜落、そして死・・・
この事実は、自分にとって決して受け容れ難いことでもある。
そんな彼との出会いはと言うと・・・
1998年に「エアショーの手伝いをしてみないか?」と、知り合いを通じ声を掛けられたことに始まる。
場所は、AIRockが以前拠点としていた阿見飛行場だったと思う。
ひょんなことで知り合ったのも、かれこれ、もう、7年も前のことだ。
当時の未熟な私は、彼らにとっては全く役にも立っていなかったと思う。
それから約1年程の間、チームをお手伝いさせていただいた。
チーム移動、物資輸送として使うシェビーバンをエアショーを行う地域まで自走。
本拠地(茨城県)→岩国(山口県)→鹿屋(鹿児島県)なんて長距離の移動、
船積みで志布志(鹿児島県)→晴海(東京都)2泊3日船舶の旅をしたことは、今ではいい思い出。
ブースで売り子をして、売り上げに一喜一憂していたなんてこともあったかな。
そんな当時の私は、若かったこともあるが今にも増して我が強すぎた。
やっかいな存在であったろうと我ながら反省するばかり。
そんな私でも、彼とそしてチームの皆は温かく迎えてくださり、見守ってくれた。
その1年間で、私は彼からエアショーの基本である安全の確保方法や対策などを学ばせていただいた。
この時に得た知識は、自身の仕事で今でも十分に活用され、役に立っており、本当に感謝している。
また、「Dream to the Sky、空へ!」と彼がサインする時などに記すことが多かった言葉。
その中にある「空への憧れ」や「愉しさ」、「すばらしさ」なんかも教えたいただいた。
自分にとって、本当に貴重な1年を過ごさせていただいたと、今でも本当に感謝している。
空で、地上で、私たちを魅了してきた彼は・・・
本当に熱くて、まっすぐで、いい男だった。
惜しい、かけがえのない人を早くに失ってしまった。
彼が、私たちに残したエアショーの、エアロバティックの足跡を消すことはなく、残していきたい・・・
2005年4月21日、愛した空へ旅立った、あなたを忘れない。
ありがとう。
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